存在自体がファンタジックな人間はいつでも探している。

今更ながらわが身に吹き荒れるMJ旋風のせいで、彼のR.I.P映画?である「This Is It」を観た。
ショウビズという世界の恐ろしさをキャッチしたりして背筋の伸びる瞬間も多々あり。
MJのモンスターっぷりも体感する。彼の極めて人工感のただよう顔面ももちろんだが、
これは彼が五十歳のときの記録らしいけれど、それを一切かんじさせない、若作りとい
う次元を超えた若さ、ある意味少年のような幼さすらかんじさせる雰囲気、これは演技
では出せない部分だとおもうのだが、どうなんだろう?ミッキーマウスが年老いないよ
うなフォーエバー・ヤング感、ネバーランド感、それを生身の人間が体現しているとい
う異常さ、フリーキーさ、そしてもちろん美しさ。



そういうゴシップ的な興味はつきないわけだけれども、もちろんパフォーマンスの緻密
さにも舌を巻いたのであった。アレンジなんかもマイケルの一挙一動にあわせられてい
て、たとえば彼が天高く指差すと曲がブレイクに入ったり、キューサインでエンディン
グのパートになったりなど。自分なんかはマイケル・クラスになると秒単位でガチガチ
に決められたステージをやっているのだとおもっていたけど、キューサインの多用とい
う古典的で(ふんだんにとはいわないが)柔軟性のあるものをやっていて、目から鱗だっ
たよ、バカ。ドラマーがヘッドフォンしてなくてこれはきっとクリックを聴いてないな
いんだろうけど、そこもポイント高し。クリックありじゃ、あんなステージできないだ
ろうしさ、現実的に。



話はかわり、



吉祥寺でレコード・ディギンという楽しい任務を終え、駅前でタバコを吸っていると、
スゲちゃんという高円寺の精霊のようなお方と遭遇し、久々に良識というものからは白
眼視される一挙一動を目撃して痛快さをかんじた。どんなに滅茶苦茶な人間でも浮世の
風に吹かれてちゃんとした人間になっていくし、ものわかりなんかもよくなっていくの
だけれど、それに意識的か無意識かはわからないけれど抗っている姿には麗しさをかん
じる。かつてはそういう人をたんさん目撃してエキサイトメントを感じたりしたが、近
年はあまりなく、みんなどこかにいってしまった。