生存することは憂鬱だってあっさり認めてしまったほうが気が楽な気がするけど、それじゃあおまんま食えないって?そっかー、そーだよなー、そのとーりだよねー、レッドブル飲もー、っと。

というわけで、ライブ終了。
サンキュウ、ベリマッチ。
バンドの仕上がりも上々で、これは「イケる」という感覚はある。
(どこにどのようにして「イく」のかは各自来週までに考えておくように)



もちろん、センシティブ・シチズンが曲をディープに把握してきたというのもあるだろうけど
自分自身の問題もあって、今年の初めからドラムありの編成で活動を始めて、それにともなう
バンドの大音量化(もちろん、普通のロックバンドほどの爆音ではない、あくまで当社比、だ
ってセンシティブだもの)に自分の歌唱が対応できてなかったのが、最近出来てきたというこ
ともある。楽曲のキーをあげてみたりしていろいろあがいてみたが、バンドの音量に対しても
安定性の失わないストロングな喉のゲットという地味な作業が一番の近道(それでも距離はか
なりある)であるというコンクルージョンが俺の勘ピューター(ワオー、ふるい!)からはじ
きだされたのでミッション遂行中であり、その成果が徐々に出つつあるのではないだろうか?



鋼の喉をゲットという目的もあるけれど、それとは別にリアルにシリアスにシンシアリーにガ
チなイエロー・スキンド・ソウル・シンガーとしての生を全うするために極めて重要なエレメ
ントとして「俺の、俺による、俺のためのセクシュアル・ヒーリング感」があるとおもうから
だ。そのために必要なのは、喉の伸びやかさ、であって、それによって自分の内なる悶々した
気分、ムードを開放していくことに肝があるのだろうとおもっている(極限までのエロチック
な体験は?だが、俺の表現したいのは私小説的なものじゃない)。



俺の中での至高のエロ歌手は誰かと問われれば、それはマービン”ミスター・セクシュアル・
ヒーリング”ゲイであって、彼のふつうの歌声とファルセットの緩急がそう感じさせるのだしね。







悶々とした、憂鬱なムードというのは通奏低音のように人生に横たわっている信念のもとに生き
ている。
(赤ん坊が産まれ落ちた瞬間泣き出すのは、この世に生まれたことを憂いてである、というまこ
とに信憑性のない説に俺はおおいに首肯する)
様々なツールやデバイスがそれを忘れさせるために日々役立っているだろうが完全に除去するの
は不可能だ。音楽は憂鬱の存在自体を甘美さに変えてエンターテインしてくれるからスペシャ
なんだよ、バカタレ



そおおおおおんで!



藤井洋平&The VERY Sensitive Citizens of Tokyoの



NEXT live is......


12/22の年の瀬に阿佐ヶ谷のソウルバー「ソウル玉」なるところにて。
共演は伴瀬朝彦氏で、なんとこの日は僕とリズム隊がおんなじ、厚海君ベース、光永君ドラムらしい。
楽しみだねー、顔が変わるとここまで音楽変わるのかというのをみせていきたい。
それとDJ陣。
詳細は後日また。