毎度毎度ディスプレイ越しにお前らに特大級のげん骨をお見舞いしてやろうとおもっているのに、それがことごく失敗しているせいで今日も俺は涙で枕をミルクに浸したフレンチトーストのようにしたよ。

久しぶりにレコードを聴く。ユーミンの79年のアルバム、『OLIVE』。このアルバムのなかでは「ツバメのように」という曲がいちばん好きだ。歌詞がすごい、交通事故で死んだ女の子が今わの際に彼女の魂か何かが一瞬ツバメのように宙に舞い上がってその光景を見ているという内容。すごい。それをもの悲しいレゲエの単純なリズムにのっかってユーミンがうたう(まるで、シンセサイザーに例えるなら、いっさいフィルターで加工されていないむき出しの矩形波のような歌声で)。誰が弾いているのか知らないが途中で流れる指板をまさぐるような嘆くようなギターソロも素晴らしい(エレキギターの何がすごいっていうと弦を指でひっぱって音を捻じ曲げることが立派な奏法としてまかり通っているところ。強引に音を捻じ曲げないといけないと表現できない何かがあるっていうことは、わかるだろ、ジミ?それに比べてピアノは美しい楽器だけれども音が曲がらない。良家のお嬢さんがプレイするにふさわしい。荒々しい音が出たりもするけど音は曲がらない。これはけっこう重要なんだぜ。ピアノから間抜けな音を引き出そうとして、前世紀の半ばあたりにジョン・ケージがピアノ線にガラクタをくっつけた。えらい。発明家の息子)。
そして、ここで親切にもこの曲のyoutube動画が聴けるととおもったら大間違いだ。
お前らにはナックの「マイ・シャローナ」がお似合いだ。
しかもオリジナル版じゃないヤツ。




ユーミンは自分ではない誰かの人生のあるクリティカルな瞬間に湧き上がる感情を歌にしている。結局、彼女のイマジネーションが源流だから彼女の感情なのだろうけれどワンクッションを置いている。それが知的でノーブルな印象を与える。自分はそういうところにシンパシーを感じる。尾崎豊は、皆すごいすごい言うので聴いてみたりしたが、確かにすごいけれど、自分にはキツイ。そっちの方が田舎のヤンキーにもうけいれらる、ある種の普遍性のようなものを得られるのだろうけれど(もしくは駅前に集う、ギターもしくは電子ピアノを手にした少年少女歌手たち)。



春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』、おもしろい。しかし春樹ばかり読みすぎかもしれない。そのうち、シニカルで内省的でユーモアたっぷりの男が主人公で美しい女の子と出会ってセックスして別れるような小説を書きはじめるかもしれない。God only knows.